2019年9月29日にBS1で放送された『ワースポ×MLB』でかつてロッテオリオンズでプレーしたレロン・リーが日本時代の思い出を語っています。
レロン 日本の皆さん、私の作業所へようこそ。今も模型飛行機を作って楽しんでいます。今日は来てくれてありがとう。
―なぜ日本に来ることになったのか?
レロン 当時、私は選手会の代表としてストライキに関わっていました。球団はそういった行動を嫌うので結果的に解雇となったんです。新しいチームでプレーしようと考えていた時にロッテでコーチをしていたラフィーバーから日本でやらないかと誘われたんです。彼が日本なら毎日プレーできると言うので日本行きを決めました。
―衝撃的な出来事とは
レロン 監督の金田(正一)さんはとにかくランニングをさせる人でした。寒くてもおかまいなし。練習練習の毎日で時に反発した時もありましたよ。でも、金田監督に出会って「人はその気になれば能力以上の力を出せる」という事を知りました。おかげでシーズンが開幕する頃には体が仕上がっていましたよ。
レロン これは弟と一緒に東京で歌手デビューしたレコード。『ベースボール・ブギ』です。歌詞は弟が書いたんですよ。
―日本での恩人
レロン コーチの醍醐(猛夫)さんです。1年目から毎日バッティングピッチャーを務めてくれました。コントロールか良く完璧でした。私が11年間で通算3割2分も打てたのは彼のおかげです。本当に感謝しています。
―それでも打てないピッチャーがいた
レロン 近鉄の鈴木啓示さん(通算317勝)です。彼のスライダーは凄かった。メジャーでも通用するピッチャーでしたね。鈴木さんが登板した時は「フォアボールを出してくれ」と願っていましたよ。それと西武の永射(保)さん。サイドバンドからのカーブは打てる気がしませんでした。どうせ打てないならと思って、一度右打席に立ったんです。そうしたら偶然ヒットを打てました(笑) 野球は何が起こるか分かりませんね(笑)
レオン これがワールドシリーズのチャンピオンリングです。
レオン あの時、日本で学んだ事をアメリカでも生かしました。練習量も日本のように増やしたんですが、ランニングは不評でしたね。でも、私に指示通りに練習した選手はメジャーで成功しましたよ。どんなスーパースターも翌日の試合に備えて陰では夜中に練習し、必死に努力しているものなんです。そういう事を日本で学んだんです。
レロン うまく飛ばせた時はホームランを打った時と同じような爽快な気分になるんです。
―日本時代も模型飛行機を趣味にしていた
レロン 日本では試合が終わると部屋に籠り何時間も飛行機を組み立てていました。野球漬けの毎日でしたが、いい気分転換になったんです。この趣味があったからこそ野球に打ち込むことができたんです。最高ですよ(笑)
―日本のファンへ
レロン ファンの皆さん、日本でのプレーは本当に楽しかった。今でもいつもプロ野球時代の話をしています。素晴らしい時間をありがとう。
以上です。