2021年6月12日にBS1で放送された『ワースポ×MLB』でかつて中日ドラゴンズでプレーしていたケン・モッカが日本時代の思い出を語っています。

 



 

モッカ ヒサシブリ。ワタシハケン・モッカデス。中日ドラゴンズで1982年から1985年までプレーしました。1982年にはリーグ優勝しました。(※最初の挨拶は日本語)

 

ケン・モッカ
来日1年目から中日の3番サードに定着。破壊力のある強竜打線の一角を担いリーグ優勝に大きく貢献。4年間の通算打率は3割4厘、通算本塁打は84本。1980年代の中日で最も愛された助っ人です。

 

モッカさんは生まれ故郷に近いアメリカ東部にあるペンシルベニア州のピッツバーグで現在暮らしている。メジャーでは地元のパイレーツ(1974、1977~1978)をはじめ、エクスポズ(1979~1980)、ブルージェイズ(1981)でプレー。日本に来るキッカケはある先輩助っ人からの電話でした。

 

―日本でプレーする経緯

モッカ 1981年のシーズン終了後、どこからも声が掛からなかった私に中日でプレーしたジム・マーシャルさんから電話があったんです。

 

 

モッカ 当時、中日のコーチだった彼から「日本でプレーしてみないか?」って。私は「いいですよ」と即答しました。メジャーではあまり試合に出られなかったけど、日本に行けば活躍できると思ったんです。打撃には自信があったからね。

 

 

来日してすぐに宮崎県串間市で行われたキャンプに参加。メジャーとの違いに戸惑う事があったと言います。

 

―日本の野球への戸惑い

モッカ 最初の1ヵ月間は体力作りだけ。1日中練習するのには驚きました。でも『チームの一員になるんだ』と言い聞かせ、自分から率先して練習に参加したのを覚えています。みんなと同じ小さなホテルに泊まって寝食を共にしました。『郷に入っては郷に従え』と言うんでしょ。

 

日本式の練習に積極的に取り組んだモッカさん。特に驚いた練習がノックでした。

 

―ノックの内容

モッカ 『サムライノック』と呼ばれた練習は過酷でした。バケツ一杯のボールが空になるまでノックするんです。おかげで苦手な守備が上達しましたよ。

 

そのかいあってか、モッカさんは開幕からサードに就くと、得意の流し打ちで打率も3割台をキープ。チームは前半戦を終えて首位巨人と2ゲーム差。終盤まで接戦を繰り広げ、シーズン最終盤の首位巨人との最後の首位攻防3連戦でモッカさんは巨人のエース江川からホームランを含む2安打と大活躍。そして最後はその試合でサヨナラ勝ち。このカードを勝ち越した中日が最終的にリーグ優勝を果たした。モッカさんは来日1年目の1982年は打率.311、本塁打23本と好成績を残した。翌年の2年目以降も安定した成績を残したモッカさん。1984年には当時の球団記録に並ぶ5試合連続ホームランの活躍をするなど、キャリア最多の31本塁打をマークした。

 

 

―活躍できた要因は?

モッカ 飯田コーチのおかげだよ。流し打ちだけでなく、引っ張ればもっと長打が出ると指導してくれたんです。いつも練習に付き合ってくれたし、今でも感謝していますよ。

 

しかし、1985年の9月に指の脱臼により不振に陥り、シーズン途中に戦力外を言い渡される。

 

―不振の原因とチームメイととの別れ

モッカ 35歳にもなっていたし、怪我で練習もできない状態でした。それで最後の巨人戦の前日にチームメイトにプレゼントをする事にしたんです。ファーストの谷沢には私の悪送球を掬(すく)えるように網を。傷が絶えなかったキャッチャーの中尾には救急箱を。ピッチャーの牛島は時々遅刻していたので、目覚まし時計をプレゼントしました。チームの一員として受け入れてくれた事への感謝の気持ちを伝えたかったんです。

 

その現役最後の試合となった試合でモッカさんは途中出場でサードの守備に就き、試合終了後にはシーズン途中にも関わらず盛大なセレモニーが行われました。

 

 

―引退セレモニーについて

モッカ あれは忘れられない思い出です。最後の試合でエラーもしましたけど、みんなと一つになれました。胴上げもしてくれて、本当に素晴らしい瞬間でした。恐らくアメリカにいたら、あまり試合に出場出来ずに虚しい選手生活になっていたでしょう。でも、日本ではキャリア最高の成績を残す事ができました。日本でプレーできて、本当に幸せでしたよ。

 

アメリカに帰国した後、モッカさんはアスレチックスで2003年から2006年、ブルワーズでは2009年から2010年に監督を歴任。アスレチックスを2回地区優勝に導きました。2005年のオールスターゲームではコーチとしてイチローと出会いました。

 

 

 

 

―イチローとのエピソード

モッカ イチローは愛知県出身だから私のプレーを見ていたらしいよ。オールスターではアメリカンリーグで一緒だったけど、何も教える事はなかったよ。イチロー自身がコーチみたいな選手だからね。

 

現在のモッカさんは地元の短期大学で学生たちに指導している。

 

 

そこでは日本で覚えたある練習方法が役に立っていました。

 

―日本で覚えた練習

モッカ 実はトスバッティングは日本独自の練習方法なんです。ボールの捌き方を身に付けられるようになって、私のバッティングもレベルアップしました。今は私が学生相手にトスをしています。選手たちからも成長が実感できると好評ですよ。この学校の選手たちはプロになるわけではないので、そうした達成感を得る体験が大切なんです。ここでの生活が私の日本での経験と同じくらい素晴らしいものであってほしいと願ってますよ。卒業した後、社会に貢献している姿をていると私も嬉しい気持ちになりますね。

 

―モッカさんにとって野球とは

モッカ 野球は全てです。日本で充実した選手生活を送る事ができたし、素晴らしい家族も持つ事ができました。人生を野球に捧げて、全てを手に入れる事ができたのです。

 

―最後に日本のファンへメッセージ

モッカ 日本での思い出は今も鮮明に覚えています。最高でした。このインタビューで私の事を思い出してください。人生で特別な4年間であり、家族も最高の時間を過ごしました。あの4年があったから、今の私があるんです。

 

最後に日本時代のヒッティングマーチを口ずさみながらVTRは終了しました。

 

 

以上です。

まだまだ元気そうです。
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