2019年9月21日にBS1で放送された『ワースポ×MLB』でかつて阪神タイガースで活躍したジェフ・ウィリアムスが日本時代の思い出を語っています。
ジェフ ハーイ、ジェフ・ウィリアムスです。阪神のニュースをチェックしていました。今は阪神のスカウトをしているんです。ようこそ、わが家へ。
―MLB時代
ジェフ ドジャースではあまり登板機会をもらえず不満を抱えていました。だからトレードでも何でも良かった。自分のことを必要としてくれるチームでプレーしたかったんです。そんな時、阪神から声がかかり喜んで日本行きを決めました。
―日米の違い
ジェフ 一番驚いたのは朝の練習前のストレッチです。メジャーではまず本格的な練習をやって、ストレッチは最後にやるのが常識でした。だから日本に来るまでそれが当たり前の事だと思っていたんです。でも、やってみると足腰の可動域も広がり、体の回復力も高まってブルペンでの投げ込みが楽になりました。
―岡田監督がしたこと
ジェフ 2005年の春のキャンプで先発だった久保田をリリーフにして藤川と私の3人で逃げ切る継投パターンでいくと、岡田さんから伝えられたんです。大統領のジョン・F・ケネディを意識したのか分かりませんが3人の頭文字を取ってJFK と名付けられました。
―甲子園の声援について
ジェフ 甲子園を埋め尽くすファンの応援は本当に力になりました。試合が始まる6時間も前から長い行列を作っているんです。ウォーミングアップなのに試合さながらの声援を送ってくれました。それと試合終了後のジェット風船。マウンドでファンが風船を膨らませる音が聞こえるんですよ。最後のアウトを取ると、風船が夜空に舞うんです。長い野球人生でも本当に気持ちのいい瞬間でした。だから今でもその時の写真を部屋に飾っているんです。
―2005年の日本シリーズ
ジェフ 確かあの時はクライマックスシリーズがパ・リーグだけ行われました。ロッテはファーストステージから勝ち上がったことで雪だるまのようにドンドン勢いが増し、最高の状態で日本シリーズに臨んできたんです。一方、早々にリーグ優勝を決めた阪神は消化試合をこなしてシーズンを終了。そのあと2週間以上も試合を行わずパ・リーグの結果を待つ状態でした。そこから日本シリーズを戦うためにモチベーションを上げる必要があったんです。でも、その差はどうしても埋めることができませんでしたね。
ジェフ 最近は多くのデータを基に選手の特徴を数値化することができます。でも、それ以上に重視するのが選手の性格です。日本の文化に馴染めるのか、食べ物や言葉に対応できるのかなど。内面を見極めるのは容易ではありませんからね。私は広い心を持って、何でも喜んで受け入れたし、日本の文化に適応できるよう努力しました。ですから、私が選手をスカウトする時は自分と同じような性格で、日本で上手く馴染めそうな選手を探すように心掛けています。
―ウィリアムスさんにとって野球とは
ジェフ 私にとって野球は人生そのものです。野球をしていたおかげで外国の文化に触れることができました。ちょっとだけ贅沢な生活もできました。もし野球に出会っていなければ、これまでの人生で体験してきたことが何一つできなかったと思います。
―日本のファンへ
ジェフ 阪神ファンのみなさん、球場で会えなくて寂しいです。甲子園で投げる喜びは他では味わえません。阪神ファンは最高です。阪神には残りのシーズン頑張ってほしい。また近いうちに日本で会いましょう。
以上です。