2021年10月31日にBS1で放送された『ワースポ×MLB』でかつてロッテオリオンズ、大洋ホエールズ、ヤクルトスワローズでプレーしたレオン・リーが日本時代の思い出を語っています。

 

 

レオン 私の事を覚えてますか?ロッテオリオンズ、大洋ホエールズ、ヤクルトスワローズでプレーしました。これが当時の私。そして今の私です。

 

 

レオン 髪が白くなりましたが、今は子供たちに指導をしています。

 

レオンリー
ロッテオリオンズに1978年~1982年、大洋ホエールズに1983年~1985年、1986年~1987年でプレー。NPB在籍10年で放ったホームランは268本、堅実なバッティングで通算打率は脅威の.308。兄のレロンさんと共に最強の兄弟助っ人として人気を博した。

 

 

一躍、子供たちのヒーローとなったリー兄弟。2人で歌った曲もヒットしました。

 

 

レオン (曲を口ずさみながら)大ブームなったんだよ。

 

 

1987年に帰国。帰国後はシカゴ・カブスのスカウトなどを歴任。2003年にはオリックスの監督となり、日本で初めての黒人監督になる。現在はサンフランシスコに近い生まれ故郷のサクラメントに在住し、高校の野球部で練習を手伝い今でも大好きな野球に情熱を注いでいる。高校の野球部の指導の傍ら、恵まれない子供たちに野球教室を開いている。

 

レオン 野球教室の目標は子供たちが将来にちゃんとした職業に就けるように後押しする事です。奨学金を得て大学に進学してほしい。指導には日本の経験が役に立っていますよ。

 

来日当初は既にロッテでプレーしていた兄レロンさんと一緒に暮らしていたレオンさん。2人で街に出ると印象に残る出来事があった。

 

レオン ハンバーガーショップに行った時、小さな女の子がいました。初めて黒人を見たのか驚いていました。そして近寄って来て私の腕をこすったんです。肌の色が気になったんでしょうねぇ。でも、その子にウインクをすると安心したようでした。黒人に対する心の壁が取り払われたのかもしれません。人種や文化は違うけど、その違いを受け入れる事が大切なんです。野球も同じです。日本の野球から学べる事はたくさんありましたよ。

 

メジャー経験のなかったレオンさん。日本に来て練習に対する姿勢が変わったと言う。

 

レオン アメリカではそれほど練習しませんでした。メジャーに上がれる実力があると思っていましたからね。でも、来日後の練習試合で12打席で10回も三振したんです。これはマズいと思い必死で練習しました。すると徐々に打てるようになったんです。結果が付いてくる事を学びました。アメリカ時代は自惚れていた事に気付いたんです。日本のやり方を実践することで選手として成長することができたんです。

 

 

来日3年目の1980年には打率.340で首位打者を獲った兄に次ぐ2位。ホームランは兄を上回る41本(リーグ4位タイ)でロッテの前期優勝に貢献しました。多くの試合で今でも思い出すのが横浜時代の一戦だとレオンさんは言う。

 

レオン 1試合で10打点を記録したんだ。今でもリーグ記録だと思うよ。

 

それは1985年8月10日の広島カープ戦。初回の第1打席に満塁ホームランを放つと、3回の第2打席では2ランホームランで6打点目。そして5回の第3打席では3ランホームランで9打点目。更に第5打席にタイムリーヒットを放ち1試合10打点のセ・リーグ記録を樹立。しかし、悔やまれる事があると言う。

 

レオン 実は第6打席はソロホームランを狙っていたんです。そうすればサイクルホームランでしょ。相手ピッチャーは内角へのカットボールが多いから、少し開き気味に構えていました。そうしたらスライダーを投げてきたんです。読みが外れてショートゴロでした。意識し過ぎず、自然体で打つことが大事だと、35年経った今でも悔しいです。

 

そして横浜時代にはプレー以外にも多くの思い出がある。

 

レオン 住んでいたのは横浜の山手町。環境が良くてチームメイトとも家族ぐるみの付き合いでしたよ。特に高木(豊)や田代(富雄)です。そして一番仲が良かったのが山下(大輔)ですね。息子のデレックはよく球場に遊びに来ていたんですけど、一番最初に行くのが山下のところだったんです。父親の私を差し置いてね(笑) デレックを可愛がってくれて、本当の家族のようでしたよ。

 

そのデレックリーさんは帰国後、カブスなどで活躍しメジャー通算331本塁打に首位打者1回をマークする選手に成長!

 

 

レオンさんは高校で子供たちに野球をを指導している時にレオンさんにサプライズ!(スマホの画面を見せる)

 

(テレビ電話で繋がる)

 

テレビ電話のやり取り
山下 久しぶりだね。

レオン 1983年当時と変わらないね。変わらないね。会えて嬉しいよ。泣けてきましたよ。ハハハ(笑)

山下 お元気そうで。

レオン あなたもね。

(ここでやり取りの映像は終了しました)

 

長年、野球に携わってきたレオンさんにとって野球を通じて得た仲間はかけがえない宝物。

 

―レオンさんにとって野球とは

レオン 野球から多くのものを教えられました。野球のおかげで仲間もでき、様々な経験もできました。今は若い人から感謝される立場になりました。野球は私の人生を豊かにしてくれたんです。

 

―日本のファンへメッセージ

レオン 日本で10年間プレーしたことが私の誇りです。一生懸命プレーして野球を盛り上げ、ファンを喜ばせることを心掛けました。日本でプレーしたこをは私の人生で最高の経験でした。

 

 

以上です。

いい特集でした。
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