2020年11月8日にBS1で放送された『ワースポ×MLB』でかつて東北楽天ゴールデンイーグルスや読売ジャイアンツでプレーしていたケーシー・マギーが日本時代の思い出を語っています。
マギー これは2013年、楽天が優勝した時のリング。ケーシー・マギーです。我が家へようこそ。
―日本移籍の経緯
マギー 2012年、ヤンキースでチームメイトだったイチローとアンドリュー・ジョーンズが日本へ行くキッカケを作ってくれたんだ。イチローは子供の頃からのスーパースター。最初は話しかけることもできなかったけど、徐々に打ち解けて、日本のことも話してくれた。それで日本でのプレーを考えるようになったんだ。そしてシーズンオフに楽天から話をもらった。実は楽天への移籍が決まっていたジョーンズが僕を一緒に入団させようとしてくれていたらしいんだ。楽天以外のチームからもオファーがあったけど、ジョーンズが行くということを聞いて、僕も仙台に行くことを決めたんだよ。
―星野仙一さんの印象
マギー お会いする前にどんな方かネットで調べたんだ。すると審判にパンチをお見舞いする姿や大声で怒鳴るシーンを見たよ(笑) 「これは大変だぞ」っと思ったね(笑) でも、実際に会ってみるととても温かく包容力があった。一瞬で心を奪われてしまったよ。1年目のオープン戦で僕は調子が出なかった。でも、星野さんは「たとえ足を骨折しても2軍に落とさないから気楽にプレーしろ」と言ってくれたんだ。それから周囲の評価を気にしなくてもよくなった。監督から信頼されていると感じたからプレーだけに集中できた。だから、自分の力を最大限に発揮することができたんだ。
マギー 僕とジョーンズがロッカールームに入ると、5分後に田中も入ってきた。その時、とてつもない形相でまるで鬼のようだった。それを見てジョーンズは「田中は今日投げる気だな」と言ったんだ。僕はまさかと思ったよ。でも田中は完璧な英語でこう言ったんだ。「優勝を決めるために投げる」って。僕とジョーンズだけがとんでもない秘密を知ってしまった。そしてその瞬間は本当に訪れたんだ。
マギー 思い出す度に鳥肌が立つよ。恐らくあの時点でメジャーからの誘いもあったはずだ。無理して故障するかもしれないのにマウンドへ上がってくれた。それはチームのためでもあり、星野監督のため、そして震災から必死に立ち上がろうとしていた東北のファンのためだったんだ。とんでもない選手だよ。
マギー これが日本シリーズに勝利した時のリング。初の日本シリーズ制覇って書いてあるんだ。優勝した後は一晩中、「ありがとう」と色んな人が言ってくれた。東北は震災の被害に遭ったばかりだったからね。これを見るとその時のみんなの喜ぶ顔が思い浮かぶよ。
(続けて)
マギー そしてこれは巨人時代の写真。
マギー 阿部が2000本安打を達成した時のものだよ。みんなリラックスした、いい表情をしているからお気に入りさ。
マギー イチローさんからバットを貰うのは簡単じゃないんだぞ。彼はベンチで寸分の狂いもなくバットを立てかける。それをチームメイトは絶対に触っちゃいけない。もちろん僕も触ったことはないよ。尊敬するイチローさんから貰ったバットだからお前たちが触ったらゲンコツだからな。フフ(笑)
マギー 野球には打ったり守ったりする以外にも細かいところに集中力が必要だから。日本では常に練習に一生懸命取り組むこと、根気よく反復練習をすることを求められた。楽しむだけではダメ。それは子供たちにも口酸っぱく教えている。
マギー これまで妻と2人の子供は僕がプレーする場所について来てくれた。だから彼らの生活は僕の仕事によって制限されていたんだ。だからこそ今は子供たちのスケジュールに合わせて行動してあげたいと思っているよ。少し落ち着いたら指導者の道を歩みたいね。でも、プロではなくアマチュアの指導が向いていると思う。日米で学んだ多くの経験を未来に繋ぐことができれば最高だね。
マギー 日本での経験は一生忘れられない思い出です。短い期間ではあったけど日本のファンに元気をもらいました。今は会えなくて寂しいけど、いつか日本に行って素敵な思い出を作りたいです。日本で素晴らしい経験ができたのもファンのおかげです。ありがとう。
以上です。