2018年4月24日にフジテレビONEで放送された「プロ野球ニュース」という番組で、この日に衣笠祥雄さんが亡くなったという報せを受けて高木豊、金村義明、里崎智也が思い出を語っています。フリーアナウンサーの堤友香も登場します。

 

高木 金村さん、速報を聞かれたときにまず何が頭に浮かびましたか?

 

金村 僕はキャンプ地でお会いした時に、そういう事をちょっと聞かせて頂いていたんで、ちょっと早すぎるなあという星野さんからすぐだったので、また71歳ということでショックでした。

 

高木 そうですね。

 

金村 僕は近鉄に入団してすぐにサードに転向したんですけど、ウエスタンリーグで広島にしょっちゅう行っていたもんですから、その時に僕は荷物を持って平和公園を通って歩きで行くんですけど、ベンツのスポーツカーに乗っていた衣笠さんにわざわざ停まっていただいて「金村、こんなところに長くいちゃダメだぞ 早く1軍に行くんだぞ」と声を掛けてもらったときに感動しましてね。

 

高木 はい。

 

金村 それから、お会いする度に挨拶に行くと優しい言葉を掛けて頂いて。

 

高木 優しい方だったですよね。

 

金村 今は行きつけのお店が五反田の居酒屋さんで一緒でね。そうすると、野茂が帰って来た時に忘年会でそのお店の2階にいると、仰木さんが勇退の時に騒いでいたら、下からわざわざ挨拶に2階まで上がって頂いてね。野茂がメジャー挑戦していた時も始球式で行って「久しぶりだなあ」と。みんなに優しくて本当に感動しかなかったですけどね。

 

高木 そうですね。里崎さんは?

 

里崎 僕は現役時代に一緒にやっていませんけど、球場でお会いした時に僕の父親と同じ年代なんですけど、本当に僕にも優しく色んな話をしてくれて、いつも言われていたのが「サト、ユニフォーム着なきゃいけんぞ」と現場に戻らなきゃいけないぞというのは会う度に言われていましたね。

 

高木 なるほどね。

 

アナ 衣笠さんといえばこちらが大変有名なシーンだと思います。

 

【1979年8月1日と8月2日の 広島巨人戦での場面が流れる】

高木 そうですね。まあ、西本さんからデッドボールを肩甲骨に受けて、これで骨折するわけですよね。でも、この避け方なんかは本当に最高の避け方なんですよね。そして骨折をしたのに次の日に骨折を押して出て来て江川さんから(フルスイングで)三球三振するわけですよね。

 

アナ はい。

 

高木 その三球三振の意味というものをしっかり語ってらっしゃって。

 

アナ はい。

 

高木 1球目はファンため。2球目は自分のため。3球目は西本君のためにスイングしましたと。

 

アナ この西本君のためにという言葉にお人柄がすごく表れているなと感じますね。

 

高木 そうですね。やっぱり、そういう選手って気を遣ってインサイド投げないんですけどね。でも、当ててしまった。そこで気を遣うなよと。勝負だから。俺は大丈夫だという意味をスイングに込めたというね。素晴らしいコメントですよね。

 

アナ はい。

 

高木 僕はレギュラーというのは全試合に出なきゃいけないという、そういうことを教わったのが衣笠さんなんですよね。それはなぜかと言うと、休むことによって空いたポジションで他の選手が活躍したら『出番が無くなるだぞ』と危機感を持てということも教えて頂いたし。

 

アナ はい。

 

高木 仕事というのは責任の上で成り立っているし、この前にSNSで声が枯れて聞きずらかった、大丈夫だろうかというコメントがあったんですね。僕のところにも。(高木豊はツイッターをしている)

 

アナ はい。

 

高木 だけど、やっぱり仕事だから休めなかったんでしょうね。恐らく。だから、無理したんだろうと思う。ねぇ、金村さん。

 

金村 はい。仰る通りだと思いますね。最後の最後まで命を懸けて仕事をしていたような、そんな感じですよね。キャンプ中もいらっしゃってましたし。

 

高木 里崎さん、野球が本当に好きな方で。

 

里崎 そうですよね。20年近くずっと試合に出続けるって本当に大変なことだと思いますし、引退してからもそうですし、僕たち後輩がその遺志を汲んで頑張り続けることが野球界の為になると思うんで頑張っていきたいと思います。

 

高木 そうですね。

 

アナ 謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

 

以上です。

プロ野球界でトッププレイヤーだった人が誰からも優しいと言われるなんてほとんどいないと思うんですよね。どこか性格が悪かったりキツかったりするのがプロの世界ですからね。骨折翌日の三球三振のコメントとかカッコ良すぎます。

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