2019825日にBS1で放送された『ワースポ×MLB』でかつて日本ハムファイターズで活躍したキップ・グロスが日本時代の思い出を語っています。

 

 

グロス やぁ!キップ・グロスです。1994年から98年まで日本ハムファイターズでプレーしました。

 

キップ・グロス
1994年に日本ハムファイターズに入団し、2年目には16勝をあげパ・リーグで外国人投手としては初の最多勝に輝く。更に翌年にも17勝をあげ2年連続で最多勝を獲得。在籍5年間で55勝(49敗 防御率3.60)をあげた日本ハム最強の助っ人ピッチャー。

 

グロス 来日前はドジャースで投げていました。当時のラソーダ監督はメディアが好む派手な選手が好きで、地味な私はメジャーとマイナーを行ったり来たりしていたんです。そんな時に日本からオファーがあり、すぐに日本行きを決めました。おかげで選手としてのピークの30歳で日本に来ることができたんです。(※MLB通算78)

 

しかし、すぐに結果を出せず1年目は25試合に登板し6勝12敗 防御率4.29でした。勝てる投手へと変貌を遂げたのは2年目(16勝13敗 防御率3.04)からだった。それはある投手との再会がキッカケで投球に幅が出たと言います。

 

グロス 日本に来て2年目のことでした。ロッテに入団したエリックヒルマン(ロッテに95-96年、巨人に97年在籍)にチェンジアップの握りを教えてもらったんです。彼とはマイナー時代に親交がありました。人差し指を外すこんな感じの握りです。

 

 

グロス これでチェンジアップが低めにコントロールできるようになりました。自由自在にね。選手寿命が5年は伸びたと思います。

 

 

新たな球種で自信が芽生えたグロスさん。それでも思い通りにいかない選手がました。

 

グロス それはイチロー。イチローですよ() 彼は別格でしたね。

 

グロスさんが来日した1994年はプロ野球史上初のシーズン200本安打を達成した空前のイチローフィーバー。グロスさんとイチローとの通算の対戦成績は3割9分4厘。その野球センスに衝撃を受けたという。

 

グロス イチローがスーパースターになることは当時から分かっていましたよ。とにかく凄い選手でしたからね。バッティングだけでなく、足も速くて苦労しましたよ。ある時、内野ゴロの処理で競争になりました。私は足に自信がありましが、イチローはすぐそこまで来ていて、焦ってミスをしてしまいました。それ以来、イチローとの対戦では投球後すぐに走り出せるように準備していましたね()

 

日本で多くの栄光を手にしたグロスさん。思い出の品を見せてくれました。

 

グロス これは何だったかなあ?

 

スタッフ 1995年の最多勝のトロフィーですね。

 

 

グロス そうか。忘れてたよ()

 

最多勝のトロフィーは覚えていませんでしたが、この年に鮮明に覚えている試合がありました。それは1995年7月4日の西武戦。この日は持ち味のコントロールがいつも以上に冴え奪三振ゼロで完封を成し遂げる離れ業をやってのけたのです。

 

グロス 私は奪三振や個人の成績は全く気にしません。大事なのはチームの勝利です。そのためには三振よりも球数を少なくし、多くのイニングを投げることが重要です。だからこそあの試合は私にとって完全試合みたいなものでしたよ。

 

 

グロスさんは現在カルフォルニア州に自宅を構え毎週20人ほどの子供たちに野球を教えています。この日の生徒は息子のタッカーくん。

 

 

高校時代にリーグ最優秀選手に選ばれたグロスさん自慢の有望株です。

 

タッカー まずは大学で野球に集中して、いずれプロに行きたいです。

 

グロス 100点の回答だ。私も学生の頃にそう思っていたよ。

 

グロスさんはこれまで多くの生徒を野球の名門大学に送り込んできました。その指導には日本での経験が生きていると言う。

 

グロス 私は自分の経験だけではなく、日本の一流選手から学んだ野球理論を教えています。例えばイチローのバッティング。下半身は動いていても打つ直前までバットを持つ手は動いていません。無駄に動かさないことで様々なボールに対応できます。日本での経験が私の指導の幅を広げてくれていると思います。

 

 

現役を退いた今でも野球に全てを捧げているグロスさん。グロスさんにとって野球とは何なのか。

 

グロス 私にとって野球は人生そのものです。うまくいかない時でも我慢して頑張り続ける。たとえ負けても、滅多打ちされても、取り返すチャンスは必ず訪れます。野球をすることで人生を学ぶことができると思っています。

 

最後に日本のファンにメッセージ。

 

グロス 日本に行ったことが私の野球のキャリアで最高の選択だったと思います。異国の地で適応することや、文化の違う野球を学ぶことは非常に貴重な体験でした。楽しい日々をありがとう。今でも感謝しています。

 

 

以上です。

穏やかな日々を送っている様子でした。
おすすめの記事