2020年10月31日にBS1で放送された『ワースポ×MLB』でかつて北海道日本ハムファイターズでプレーしていたセギノールが日本時代の思い出を語っています。
セギ やあ、日本の野球ファンのみんな。マイアミマーリンズのフェルナンド・セギノールです。
セギ 覚えている人は少ないかもしれませんが、私が日本で初めてプレーしたのは2002年のオリックスブルーウェーブでした。
セギ あの年はシーズン途中で不調になって、2軍を経験したけど、日本で成功したかったから腐らず一生懸命練習したよ。
セギ でも、クビになって翌年にヤンキースマイナー契約。あの頃はメジャー昇格よりも、日本に復帰することばかり考えていた。すると2004年、日本ハムから声がかかったんだ。もちろん即答したよ。
セギ 初めて札幌ドームに行った時は「何て大きなスタジアムなんだ」と驚きました。当時、監督だったヒルマンに尋ねたんです。「俺たちはここを満員にできるのか?」って。するとヒルマンは「とにかくファンの期待に応えられるよう一生懸命プレーしよう」と言ったんです。その2年後、それが現実となりました。日本一に輝いた時は本当に凄かった。満員のファンが熱狂し、テレビも連日取り上げてくれました。北海道を野球の虜にすることができたんです。あの瞬間を思い出すと、今でも鳥肌が立ちますよ。
セギ あの試合は特別でした。勝てば優勝が決まる試合で、うちの先発はダルビッシュ有。エースで絶対に勝つと思っていたから、私も必ず打ってやるという気持ちでしたよ。『大事な場面で大きな仕事をするんだ』と自分に言い聞かせて打席に立ちました。
セギ 川上は最も得意なボールで勝負してくると思っていました。それはインコースへのカットボール。あの時はその球だけを狙っていました。
セギ もしカットボールを打つと決めていなかったら空振りしていたでしょう。それほど厳しいボールでした。あの時は全てが完璧じゃないとダメだった。あの場の空気を感じて配球を読む。川上の考えることが分かった、本当に完璧な打席でした。みんなと喜びを分かち合い優勝できた時には最高の気分だったよ。
セギ 私の仕事は多くの有望な若手を見つけること。実は将来有望な選手を抱えるチームのランキングでマリーンズは今年一気に4位に上がったんだ。
セギ これは我々スカウトが機能している証拠だね。ただ、我々の仕事はこれで終わりじゃない。見出した選手たちがここでしっかりと力を付け、メジャーで優勝に貢献できる選手になってもらわないとね。
セギ 自分で計画を立て、目標に向かい、仕事に真摯に取り組む。日本に行ってから私は変わりました。細かい事にも気を配り、努力する。日本で学んだ事は今でも持ち続けている。長い人生で上手くいかない時もあるけど、そこから色んな事を学ぶことができます。人生は全てが挑戦です。壁にぶつかっても楽しんで乗り越えることが大事なんです。
セギ 日本でプレーすることができて本当に感謝しています。これからも日本のプロ野球と選手たちを応援し続けてください。そしてメジャーで活躍する日本人選手たちの応援もよろしく。日本のファンは本当に素晴らしい。また近いうちに会いましょう。
以上です。