2017年にBS1で放送された『球辞苑』で当時東北楽天ゴールデンイーグルスでプレーしていた松井稼頭央がスイッチヒッターについて語っています。
松井稼頭央は2002年にトリプルスリーをスイッチヒッターとして成し遂げた唯一の選手。
―スイッチヒッターに転向したきっかけは?
松井 2年目に1軍キャンプに抜擢して頂いて。昔だったら右で振ったらバランスよく左でも振っときなさいと言われていて。そうしたら当時の打撃コーチだった谷沢健一さんに「お前は左の方が良いスイングしてるな」と言われて。右専門だった当時は対左投手に2割9分打ってて、対右投手には1割(実際は1割9分)ぐらいだったんじゃないかな。それで足もあるからスイッチしてみようかという話から挑戦して。
―左打席での違和感
松井 初めは感覚的なところが全然違いますよね。真ん中のボールでも体に当たるんじゃないかっていうのが僕はありましたし。だから、まずデッドボールの避け方から始めました。
―練習について
松井 当然スイッチしたての頃の練習は7:3か8:2で作った左が多くなるんですね。100振ったら左で80振る、右で20振る。その右の20というのは今までずっと右で打ってるから貯金があるんですよね。これを1年間で考えると、どれだけの差が出てくるという話になってくるんで、今まで貯金していたものがなくなるわけでしょ。そうすると当然この右は打てなくなるんです。右200振ったら左も200振らないと追い付いてこないです。だからスイッチは大変なんです。
松井は努力の甲斐があってプロ入り3年目でレギュラーを掴む。
3年目の成績 打率2割8分3厘、本塁打1、盗塁50。
―更なる高みを見据えていた
松井 当時は当ててスピードを生かしてやってきましたけど、それじゃ僕の中で面白くなくなってきて。やっぱりしっかりと振りたいし、しっかりと打ちたいし。だからスイッチだからといって足を生かすスイッチになるのはイヤだったんで。ホームランバッターとは言わないですけど、中距離ヒッターを目指してやってました。
―飛躍のきっかけは当時の須藤豊コーチの言葉
松井 「右と左の人格を変えなさい」と。賢くいくか、アホでいくか。右はもともとが右なんで、アホでいいんじゃないかと。それで左は作った左なので、ちょっとしたことでズレていくわけですよ。作った左というのはスゴく不器用なんです。トスバッティングも難しいし、ペッパーも難しいし、今でも難しいです。自分の打つポイントであったり、左にはスゴく気は使いましたね。
―スイッチの利点は?
松井 野球経験があったら分かると思うんですけも、守っていて当てにいくバッティングしてくれたら守りやすいじゃないですか。逆に強く振り切ったら守備も一歩引くでしょ。だから僕は振り切って内野に飛べば内野安打になると思っているんで。
振り切るスタイルでも内野手安打を稼ぐようになった松井は日本球界屈指のスイッチヒッターとなる。そして2004年にメジャー挑戦。海を渡ってスイッチヒッターの意外な光景を目の当たりにする。
右投手には左打席、左投手には右打席がスイッチヒッターのセオリーだが。
―意外な光景とは
松井 右投げナックルボーラーのレッドソックスのティム・ウェイクフィールドっているじゃないですか。彼が投げる時のスイッチヒッターというはだいたい右打席に立ちます。バットは右手の方が操作しやすいんで。僕は右打席で右投げなんで、ウェイクフィールドの揺れてくるボールに対して右手の方がバットを操作しやすい。あとはカットボールを操る右投手のマリアノ・リベラ。このピッチャーにもスイッチヒッターは右打席に立つ。あのカットボールは左打席だと打てないんで。
本人もどこに行くか分からないウェイクフィールドのナックルボール。左バッターのインコースを鋭くえぐるリベラのカットボール。彼らと対戦する時、メジャーのスイッチヒッターはそのメリットを捨て、本来の右打席に立つ。魔球を捕まえるには利き手の操作が必要だと言う。
―現在少なくなったスイッチヒッターについて
松井 一時は多かったじゃないですか。また急に1年2年で断念するじゃないですか。その2年が逆にもったいないと思ったりもするし。プロに入ってから始めて2年でやめるって、これは2年ではまず無理なので。そんな甘くないんで。短く持って打ったり、まずそこからスタートしているんで。それで積み重ねてきて、ちょっとしっかり打ちたいな、ホームラン打ちたいな、当てるだけのバッティングは面白くないなと思ってやってきて積み重ねてきたんで。ある程度の時間は僕は必要じゃないかなと思います。
以上です。
レジェンドはかなり努力をしたようです。