2018年3月にフジテレビONEで放送された「プロ野球ここだけの話」で星野仙一のドラフトで中日に入団したときのお話について元阪神西武の田淵幸一、元中日の立浪和義が日刊スポーツの記者で星野番をしていた寺尾博和とフリーアナウンサーの梅田淳とフジテレビアナウンサーの宮澤智と共に語っています。
【冒頭で当時のドラフトについて語っている星野仙一の映像が流れます】
星野 巨人が「指名します」と来たんですよ。それでドラフトで巨人の順番が来て巨人は島野という選手を指名したわけですよね。要するに「騙された」という気持ちが・・・22歳ぐらいの頃だからね。今ならよく分かるけどね、ジャイアンツが騙すっていうのは。あらゆる面で(笑) 僕はもともと阪神ファンだったしね。阪神に入りたかったんだけども、ある意味ではONと対決するという夢が叶った。やっぱり最強の打者に立ち向かっていくというのは、これは男のロマンだね。
ここからスタジオで語り合います
なお、これは星野さんが亡くなってそれを振り返るという番組です
梅田 言ってますねぇ、田淵さん。
田淵 そうだね。昭和43年にドラフトがありましてね。山本浩二、富田勝、私(※この3人は法政三羽ガラスと言われていた)、星野の4人で「俺らはどこに行くんやろな」と話していた。
【1968年 第4回プロ野球ドラフト会議の1位選手】
中日 星野仙一(明治大)、読売 島野修(武相高)、阪神 田淵幸一(法政大)、広島 山元浩二(法政大)、サンケイ・アトムズ 藤原真(全鐘紡)、大洋 野村収(駒沢大)、南海 富田勝(法政大)、西鉄 東尾修(箕島高)、阪急 山田久志(富士鉄釜石)、東京オリオンズ 有藤通世(近畿大)、近鉄 水谷宏(全鐘紡)、東映 大橋穣(亜細亜大)
梅田 ご覧ください。キラ星の如く輝いている選手ばかり。
田淵 この時に(星野は)巨人に入ってくれと言われていたけど、私も言われてたんですよ。
梅田 え!?田淵さんも?
田淵 私なんか川上(哲治)さんと会ったんだから。
梅田 あら!
田淵 それで「指名するからね」って。ただね、2番目か3番目に阪神が指名しちゃったんですよ。だから、これは無理だったんだけど7番目が巨人だったんですね。星野からしたら絶対に来ると思ったら武相高校の島野というね。本人からしたら「星と島を間違えたんじゃないか」っていうね。
梅田 ハハハ(笑)
田淵 9番目の中日に行ったわけだから、もし巨人が本気で星野を指名する気だったら巨人でプレーしていたかもしれない。歴史が変わっているかもしれない。
梅田 そんなことがあったらどうなっていましたかね。
田淵 分からないね。神様のみ知るだけど中日に行って良かったんじゃないですかね。
梅田 寺尾さんね、巨人ファンの寺尾さん。
寺尾 いえ。(※この人は長らく阪神を担当をしている新聞記者なので否定しているようです)
梅田 いやいや(笑) らしいという情報を耳にしまして(笑) これ星野さん中日に指名されたんですけど、もし巨人に行っていたらということを想像すると。
寺尾 まあ、当時の巨人の監督は川上哲治監督だったんですね。確かに川上監督は星野さんを指名する予定ではあった。ただ、途中で若いピッチャーが欲しいとなって高卒の島野さんを指名したんですよね。
梅田 なるほど。
寺尾 ただ、それが後々の打倒巨人に繋がっていくんですよね。
梅田 それに火が点いて野球界にとって良かったですよ。立浪さん、ドラフトっていうのは色んな想いがあると思うんです。
立浪 まあ、特に自分の場合はクジで星野さんに取って頂いたということがありますから、はい。
梅田 だから、誰がどこに行ってどんな人生を歩むか、やっぱりドラフトというのは運命の日なんですよね。
宮澤 本当に人生が変わりますもんね。
以上です。
当時は指名する方も色々と場当たり的なことを言ってたんでしょうね。