2019年7月22日にBS1で放送された『ワースポ×MLB』でかつて日本ハムファイターズで活躍したナイジェル・ウィルソンが日本時代の思い出を語っています。
ウィルソン 実は日本のスカウトからインディアンスの3Aの試合に別の選手を見に来ていたんです。そこで私のバッティングを見て白羽の矢が立ちました。最初は断りましたよ。まだ27歳でしたし、メジャーでプレーするチャンスがありましたからね。そこで1,2年で帰って来ればいいかと思い、日本行きを決めたんです。それが長い間いることになりました。今でもあの時の決断は間違っていなかったと思います。
ウィルソン とにかく日本のやり方に馴染もうと必死でしたね。キャンプ最初の2,3週間はランニングだけだと聞いて驚きましたよ(笑) ハハハ(笑) 我慢して最後までやり遂げましたよ。
ウィルソン それは上田(利治)監督です。最初から私を信頼してくれて、ヒットが出なくても先発で使ってくれました。選手にとって先発できるかどうか分からないのが大きなストレスになります。でも、私にはその心配をする必要がなかったんです。それが私を楽にさせてくれた大きな要因ですね。
ウィルソン これは大阪ドームで4打席連続ホームランを打った時のスコアシートです。
ウィルソン あれは特別な瞬間でした。実はあの日、腰が痛くてプレーできるかどうか分からない状態だったんです。だからあの試合ではスタンスを狭め、体を起こし、ゆったりと構えました。
ウィルソン バットを軽く握り、リラックスするように心掛けたんです。それが良かったのかもしれないですね。
ウィルソン もう一人、私を支えてくれた人がいます。通訳の島田利正さんです。24時間付きっ切りで世話をしてくれました。島田さんは多くの「外国人選手を見てきたけど、君なら大丈夫だよ 自信を持ってスイングしろ」といつも励ましてくれたんです。そして何よりチームメイトに恵まれました。監督はじめ、みんなが私を信頼してくれました。
ウィルソン 私はヤンキースの大ファンなのでチーム名もヤンキースにしました。選手たちが野球で奨学金を得て、アメリカの大学に進学できるようにすることが目的です。夏場は大学のコーチたちの目に付くようにアメリカまで遠征をしていますよ。
ウィルソン 上田監督から忍耐を学びました。私も子供たちを信頼し、辛抱強くプレーすることを指導しています。野球は10回中7回は失敗する難しいスポーツです。でも、3回上手くいけば殿堂入りも可能です。そんなスポーツは他にはないですね。だから、打たなければいけない、というプレッシャーはかけたくありません。寧ろ失敗から学んでほしいんです。私は幸運でした。夢を追い掛けてプロの選手になれましたから今も愛する野球を仕事にできています。子供たちにもそんなチャンスを与えたいんです。
―最後に日本ファンへメッセージ
ウィルソン 私を受け入れてくれた日本の人たちに感謝しています。日本での生活は特別で幸せな時間でした。だから日本のみなさんドウモアリガトウ。また日本でお会いしたいです。
以上です。