2020年11月10日にフジテレビONEで放送された『プロ野球ニュース 2020』でこの日のvs.読売ジャイアンツ戦で引退となった阪神タイガースの藤川球児について元横浜の平松政次、元ヤクルト広島の笘篠賢治、楽天で監督をしていたデーブ大久保がフリーアナウンサーの山田幸美と共に語っています。

 

藤川の引退スピーチの一部

藤川  1999年に阪神タイガースに入団して、同じドラフト1位には、同級生・西武ライオンズ松坂大輔、そして巨人軍の上原浩治さんがいました。2人は1年目から素晴らしい活躍をしていました。2人を見て、失敗と故障を繰り返す自分とを比べると自分には無理だと普通なら諦めてしまうでしょう。でも僕は、「は勝ち負けはついていない!」と認める事だけは絶対にしませんでした。当時、周りから厳しい視線を感じたり、厳しい言葉を投げかけられることも沢山ありました。しかし、どんな時もいつも必ず見返してやると思いやってきました。そして2005年、タイガースで優勝する事ができました。最高の思い出です。

僕は自分自身にたびたび襲い掛かる苦難に打ち勝つことができました。清原和博さんへ。あなたがいなければ今の僕は存在しません。僕をここまで成長させてくれたのは清原さんとの対戦、そして存在です。何年か前になりますが、僕も清原さん自身も苦しい時なのに、わざわざお守りを届けてくれました。体を大事にしろよ!と。凄く力になりました。キヨさんはとても優しい方です。必ずお礼を伝えに行きますので今後ともよろしくお願いします。

ライバル松坂大輔へ。必ず投げる姿を見せて世の中の人を元気にして下さい! あなたのそういう姿が今の日本には必要です。僕があなたの一番の応援団になります。目標でいてくれてありがとう。

それでは、阪神タイガースファンの皆様へお礼を言わせて下さい。僕の投げる火の玉ストレートには、甲子園球場のライトスタンドの大応援団の皆様、チームの思い、そして全国のタイガースファンの熱い思いが全て詰まってます。それが皆さんの知る火の玉ストレートの投げ方です。それは打たれるはずがありません。打者のバットに当たるはずがありません。僕が言うのも変ですが、不思議な力が湧いてきて普段の自分ではなくなるのです。野球選手藤川球児というのは皆様の気持ちの塊だったんだと思います。ファンの皆様にとって僕の存在が誇りというならば僕にとっても、ファンの皆様が誇りです。その気持ちをこれからは後輩達に一緒に送り続けましょう!

そしてタイガース史上最高のキャッチャーで、僕が世界で一番尊敬している、矢野監督を日本一の監督にさせてあげましょう。選手やコーチの皆さん、後はよろしくお願いします。もし困った時はいつでも呼んでください。すぐに駆けつけます。

それでは皆さん、野球選手藤川球児とサヨナラをする時がきました。子供の頃からの先生方、今までの全ての友人、そして世界中の野球ファンの皆様、皆様のおかげで最高に素晴らしい野球人生を送る事が出来ました。長い間のご声援、本当に本当にありがとうございました。

 

 

藤川を語る

日米通算成績
811試合61勝39敗 164HP 245S 防御率2.18

 

アナ 今シーズン最多の21392人を動員した甲子園球場が球児コールに包まれました。

 

大久保 神々しいですよね。苫篠さん、藤川投手の思い出はありますか?

 

苫篠 僕は藤川くんの1年目のファームの最終戦ぐらいの広島の2軍の由宇球場で対戦したんですよ。

 

大久保 ほぉ。

 

 

苫篠 球種は今と同じですよ。ただ、その時に感じた印象は、失礼ながら、「あぁ、この子はまだ三振を取れる球はないな」と。

 

大久保 最初はそうだったんですねぇ。

 

苫篠 これがみるみる成長していってあの火の玉ストレートを投げるようになったと。これを僕も経験しているので、これからの若い選手たちというのはどこで伸びるか分からない、どこで花が咲くか分からない、諦めたらそこでお終いやなというのを、僕は1年目に対戦させてもらってから変わっていった藤川球児投手を見てずっと感じてます。

 

大久保 スゴいエピソードですよね。藤川投手の成長を苫篠さんに語ってもらいましたけど、平松さんは彼の野球人生をどう見ていましたか?

 

平松 松坂と同期ドラフトで入った時点では、その差が物凄くあったと思うんだよね。

 

大久保 はい。

 

平松 それでこれだけプロに入って伸びた選手というのは過去にいないぐらい凄い成長しましたよね。

 

大久保 うんうん。

 

平松 その中で努力。色んなことをやったと思うんだけど、これはやっぱり松坂がいたから出来たと思うんだよね。

 

大久保 なるほど。

 

平松 彼に絶対に負けたくない、いつかは同じようなレベルになるんだという、そういう気持ちでここまでやってこれたと思う。まあ、見事な成長が本当に印象に残りますよね。

 

大久保 苫篠さんが言った「この子は三振を取る球はないな」と感じた投手がこんなに三振をバンバン取れるようになるのは過去のプロ野球界でも考えにくい事なんですよね。

 

平松 本当にその通りですよ。若い時のピッチングを見てるとボールは大したことないしね。

 

大久保 はい。

 

 

平松 それが火の玉ストレートを投げるようになって、これだけの成長をするってのは珍しい。今までにないぐらいですね。

 

大久保 そうですね。久保田もそうなんだけど阪神からこれだけ速球派が出るというのは何故かと、2012年に西武の編成やってたから、阪神に調べに行ったことがあったんですよね。

 

平松 うんうん。

 

大久保 どういう指導をしているのかを調べに行ったんですけど、結局見つからなかったんですよ。だから阪神には速球派を生む土壌が何かあるんでしょうね。

 

平松 まあ、でもね、この球児だけは特殊じゃないかな。特別だと思うよ。これだけ入団したての若い頃からのフォームとボールが変わるんだからね。これはコーチも良かったんだろうけど、自分の努力だと思うね。

 

大久保 うんうん。

 

平松 だから走って走って投げまくったというのが一番。本人の努力だと思いますよ。

 

大久保 2008年に西武の打撃コーチやってたんですけど、後ろにJFKがいて、あの3人を打つのは無理だなとなりましたからね。過去にあんな凄い3人はいないですよ。

 

平松 まあ、あの3人を打つのは無理だよね(笑) あの3人の共通する武器はとにかく球が速かったこと。

 

大久保 そうですねぇ。

 

平松 だからピッチングで大切なのはフォークでもなきゃ、チェンジアップでもなく、やっぱりスピンの利いた伸びてくるストレートなのよ。

 

大久保 そうですね。

 

平松 これは改めて球児を見て、JFKを見て感じましたね。

 

アナ そして藤川投手に対して巨人は代打で坂本選手と中島選手を送り出しました。この粋な計らいをした原監督は「うちを代表する選手と対戦させたかった。気持ちのこもった全力投球であれだけ長くやれた。歴史に残る選手」と敬意を表しました。

 

苫篠 原監督もファンは何をすれば喜ぶかというのを分かってますよね。そういう演出をしましたよね。

 

大久保 最後のバッターは重信ですか。あと10年経てば「俺は何をやったんだ・・・」っていう(笑)

 

苫篠 (笑)

 

大久保 まあ、重信に求めるのは酷ですけどね。

 

アナ 本当に野球に愛された選手ですね。藤川投手、22年間お疲れ様でした。

 

 

以上です。

語り継がれる投手です。
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