2019年6月16日にBS1で放送された『ワースポ×MLB』でかつて広島カープでプレーしたジム・ライトルが日本時代の思い出を語っています。
ライトル 日本の野球ファンのみなさん、こんにちは。私が誰だか分かりますか?昔は赤いヘルメットをかぶっていました。1977年にね。私の名前はジム・ライトルです。
―カープとの縁
ライトル 私はオハイオ州のシンシナティで育ったので、幼い頃はシンシナティレッズのファンでした。カープと契約した時はそっくりなチームロゴに驚きました。シンシナティで過ごした事のある広島のオーナーが真似したのかもしれません。奇妙な縁を感じましたね。
―カープに入ってみて
ライトル でも、カープに来て一番驚いたのは練習量の多さです(笑) 1年目のキャンプ初日のことは忘れもしません。当時、来日したばかりの私は時差ボケで居眠りをするほど疲れていました。それなのにその日の夜にコーチがやって来て「練習場に行け!」と言ったんです。150キロを投げるマシーンを相手に無我夢中でバットを振りました。とにかく物凄い練習量にビックリしましたよ。
ライトル これは日本シリーズMVPのトロフィー。ずっとここに飾っているんです。
ライトル 孫の友達が遊びに来た時にトロフィーを見ると、「これはなに?」ってビックリして聞くんですよ(笑) 今でも私の自慢のタネになってますよ。
ライトル 胴上げはアメリカでは体験したことのない初めての経験でした。
ライトル 落ちないようにみんなを信じるしかありませんでしたよ(笑) 初戦で2本のホームランを打ってから、「車をもらえるぞ!」って仲間がずっと言ってくるんです。そしてMVPを獲って、本当に車をもらいました(笑) その車は後に息子の車になりましたよ(笑)
―次に見せてくれた日本の思い出
ライトル これはダイヤモンド・グラブ賞のトロフィーです。確か4回貰いました。リーグでは僅か9人しか貰えない特別な賞ですね。
―忘れられない守備の思い出
ライトル 私はあの王貞治をアウトにしたことがあるんです。来日2年目の巨人戦。王さんはライトオーバーの打球を打ちました。私はクッションボールを素早く処理し、セカンドに投げたんです。ベースの10メートルも手前でアウトにしました。のちに王さんは「ライトルの方に打ったら2塁には行かない」と言っていましたよ(笑) 王さんにはメジャーでもプレーしてほしかった。ホームランをどこまで打てたか分かりませんが、素晴らしい成績を残せたでしょう。
―家族と過ごした日本の7年間
ライトル 日本には7年もいたので子供たちも上手に日本語を話せるようになりました。娘は現在マイアミの法律家です。ある時、取引先の日本人に「何故そんなに日本語が上手なんですか?」と聞かれ、「私の父はジム・ライトルなんです」と答えると、みんな飛び上がったそうです(笑) 今でも私のことを覚えてくれているなんて嬉しい限りですよ(笑)
―日本のファンへ
ライトル 日本は私だけでなく、私の家族にとっても第二の故郷になりました。特に広島カープのことは今でも愛しています。今年こそ日本一になることを期待しています。カープ♪カープ♪広島カープ♪(※最後に「それ行けカープ」を口ずさんでいました)
以上です。