2017年の11月に放送された関西テレビの「報道ランナー」で山本昌が1994年に斎藤雅樹と争った契約更改を関西テレビのアナウンサーの新実彰平と共に語っています。

 

アナ 昌さんが現役32年間やられたということは契約更改を31回やっているということなんです。

 

山本 そうなんです。

 

アナ その中で特に印象に残った契約更改あるらしいのですが。

 

山本 ありました。

 

アナ それがこちらなんです。

 

モニター
『1994年19勝あげ最多勝を獲得で金額提示なし』と映される

 

アナ はい。19勝を挙げた1994年の契約更改で白紙。

 

山本 そうなんですよね。

 

アナ 書いてなかった。

 

山本 これ連続最多勝の2回目なんですけど白紙だったんです。

 

アナ どういうことなのかと。

 

当時の状況
1994年に19勝を挙げてセ・リーグ最多勝を獲得した山本昌。そしてセ・リーグには他にも大エースがいた。巨人の斎藤雅樹である。1989年1990年に2年連続で20勝を挙げた巨人のエース。球界ナンバーワンを争うライバル同士ということで、契約更改で白紙となる様々なある事情があった。

 

 

山本 これね、斎藤雅樹さんが日本のプロ野球の当時の最高年俸だったんですよ。ただ、ドラゴンズとしては「2年連続最多勝の僕を斎藤よりも上に行かせたい」と。1回目の契約更改のときにそういう風に説明されたんです。

 

アナ はい。

 

山本 だから、「今日は提示しないよ」と。「斎藤君の契約更改を待ちましょう」と。

 

アナ この年ってあれでしょ。いわゆる、あの10.8で最終戦までもつれて優勝が巨人だったから、相当思いが両球団ともにあったわけですよね。しかも斎藤選手は同学年。

 

山本 そうなんです。でもね、今度は巨人は巨人で山本よりも斎藤投手の方を上にしようと思ってるんで。

 

アナ はい。

 

山本 両チームの思惑がぶつかって、もうキャンプ手前まで2人ともサインしないんですよ。

 

アナ 交渉はするんだけどサインはしない。

 

山本 しないんです。僕はずっと金額を出してもらってないの。

 

アナ ほー。

 

山本 ですけど、結局は「私はもういいですよ」と気にしないと伝えました。

 

アナ 優しいですねぇ。

 

山本 そういうことで先に折れたのは僕なんですよ。

 

アナ 折れたのは昌さん。

 

山本 はい。さあ、いくらになったのか。1億7500万円。

 

アナ 1億7500万円。凄い。

 

山本 そうなんです。これスゴいもらったんですけども先に折れたんです。

 

アナ これを見た巨人。斎藤雅樹さんの年俸はこうなりました。

 

モニター
斎藤雅樹の年俸が1億8000万円

 

アナ 1億8000万円(苦笑)

 

山本 これ後でね、斎藤君に言われたんですよ。「マサ、ありがとう」って。

 

アナ ハハハ(笑)

 

山本 そうなんですよ。向こうも意地張ってね。2人ともキャンプで契約更改かって言われてたんです。僕は最初からもう31回やってるんですけど、この時だけ一発でサインしてないんですよ。

 

アナ へぇ~。

 

山本 その他は一発でサインしてるんです。

 

アナ そうなんですね。

 

 

以上です。

読売新聞と中日新聞の意地の張り合いみたいな感じでしょうね。

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