2020年2月17日にフジテレビONEで放送された『プロ野球ニュース2020』で2月11日に亡くなった野村克也さんの現役時代の話を江本孟紀が高木豊、真中満、フジテレビアナウンサーの杉原千尋と共に語っています。
バッター野村克也
アナ 野村克也さんが野球界に遺した数々の功績について皆さんと振り返りたいと思います。現役時代の野村さんは1954年に南海ホークスにテスト入団されました。そして27年間で3017試合に出場、そして首位打者1回、ホームラン王9回、打点王7回、三冠王1回、パ・リーグMVP5回と数々の素晴らしい成績を残されました。
高木 そうですね。江本さん、まずバッティングについてですが、8年連続ホームラン王で9度のホームラン王と。キャッチャーとしてのお話が一人歩きしてますけど、バッティングについてちょっと陰に隠れてたように思うんですけど。
江本 いや、そんな事ないよ。
高木 そんなこともないですけどね(笑) バッティングもスゴかったですよね。
江本 とんでもないバッターでしたよ。俺が南海に入った時に伝説的に野村さんの事をよく聞いてたのがあってね。
高木 はい。
江本 俗に言う、一升瓶に砂を詰めていつも手首を鍛えてた。ずっと手首を鍛えてね。そんなに体は大きくないですよ。
高木 180センチとかも全然ないですよね?
江本 ないない。全然ないです。だけど、そうやって自分の体力的な事も含めてカバーするために自分なりに苦労してね。
高木 うんうん。
江本 こ゚の人は努力の人って言われてるけど、バッティングについてはまあ天才だね。
高木 そうですか。
江本 あんな逃げ腰のスイングでよくあんなホームラン打てたなと。
高木 そうですね。ただ、監督になってデータというイメージがありますけど、現役時代から打つ事に関してデータ的なものは取ってたんですか?
江本 まあ、メモ魔だよね。
高木 メモ魔。
江本 うん。ノートに書いてね。それで俺たちピッチャーミーティングとかあるでしょ。
高木 はい。
江本 その時にノートを持ってくるんですよ。それがまた喋りが遅いから、聞いてると眠くなってくるんですよ。
高木 (笑)
江本 だけどね、そういうものを常に現役時代から取っていて、監督時代に活かしたんじゃないですかね。
高木 うんうん。
キャッチャー野村克也
高木 そしてキャッチャーとしても球史に残る名選手でした。
江本 バッテリーで受けてもらってたけど、俺は4年連続200イニング投げてるから。ということは、あの人が俺にずっとサインを出し続けてたわけだよ。
高木 はい。何か印象的なリードとかはありますか?
江本 あぁ、真ん中のサインというのがあった。
真中 へぇー。
江本 真ん中の真っ直ぐというサイン。
高木 そうですか。
江本 けっこう屈辱的なサインなんだけど。
真中 ハハ(笑)
江本 俺はコントロールが悪いから時々そのサインを出すんですよ。
高木 本でも読んだことがあるんですけど、フルカウントからわざと高めのボール球を投げさせてバッターに振らせるという。
江本 そうそう。ワンスリーから外したりとか平気でする。
高木 ほぉー。
江本 それは自分の勘もそうなんでしょうけど、相手を封じるためにね。
高木 はい。
ミーティングが長い
江本 キャンプでね、一番イヤだったのがペーパーテストがあったんです。この人がやるんです。
高木 うんうん(笑) それ何のテストですか?ルールですか?
江本 ルールも含めてね。例えば「ピッチドアウトとウエストの違いを述べよ」とか。
高木 あぁ。
江本 パッと言える?
高木 いや、急には言えない(笑)
江本 パッと言えないでしょ。それを皆がテストで机の上で考えて。また勉強嫌いな奴ばっかりじゃないですか、野球選手なんか。
高木 それはそうですね(笑)
江本 それを鉛筆持ってキャンプでやるわけですよ。それでデータについてはあの頃は尾張(久次)さんというスコアラーがいて、元々データ野球だったんですよ。
高木 うんうん。
江本 だからそういうのをバッテリーを組むピッチャーと相手チームの1番バッターから順番に想定してやるんだから。「1番福本なら1球目に何を投げる?」って。
高木 なるほどね。
江本 その後にそんなのをやったのかは知りませんよ。でも俺たちの頃は「1番福本で何を投げる?お前どうだ?」って言われて、「うーん、データを見たら1球目を打たないから外から入ります」と答える。
高木 はい。
江本 「分かった それがボールだったら2球目はどうするんや?」と。それを延々やるんですよ(笑)
真中 ハハ(笑)
江本 それを9番までやるから終わらない。キャンプとか3連戦の前とかにね。
高木 でも、それぐらい1球を大事にして意図を持って投げろっていう事なんでしょうね。
江本 まあ俗に言うシンキングベースボール、考える野球という原点がそこなんですよ。
高木 ですよね。
江本 だからみんな考えないで野球をしてたでしょ。エイヤエイヤで。
高木 そういう時代もありましたよね(笑)
江本 それが俺も南海に入った時にビックリしたんですよ。考えてやれというね。「俺が真っ直ぐのサインを出しても、何も考えずに投げてくるんじゃなくて、そこで考えて投げろ」と。「俺が何でそのサインを出したか」っていうのを。
高木 なるほどね。
江本 そんなんマウンドでなかなか無理でしょー。
高木 なかなかそうはいかないでしょうけどね。でも、そういうところで恵まれてない体でもやっていけたと。
江本 それで体も強くてね。この人のあだ名は「ムース」って言うんだけどね。
高木 ほぉ。
江本 俺たちの時代は「カメレオン」と呼んでいた(笑)
高木 何でですか?
江本 ブロックで顔をザックリ切って、血がダラダラ出て、次の日に傷が塞がってるとか。
高木 ほー。
江本 だから「これカメレオンだよ、ムースじゃないよ」と。特異体質というかね。そういう強い人っているじゃない。
高木 強い人いますよね。
真中 まあ切れて1日では治らないですけど(笑)
江本 だから野村さんはそういうところがスゴかった。
プレイングマネージャー野村克也
アナ そして監督時代の話を伺っていきたいと思います。8年間も南海のプレイングマネージャーを務められていたんですよね。
高木 やっぱりプレーしていた時と監督を兼任するようになった時は違いました?
江本 試合中はブレイザーというヘッドコーチが全部サインを出していました。
高木 そうなんですね。
江本 だから試合中はバッテリー、キャッチャーに専念。それで最後に「ここで1点を取るためにスクイズをやった方がいいかな、打たせた方がいいかな」という時だけブレイザーが来て、ベンチで野村と喋ってるわけ。
高木 なるほどねぇ。じゃあ、負担は少し減らせていたんですね。
江本 まあ基本的には試合前には色んなことをやるんだけど、試合が始まったらキャッチャーですよ。
真中 さすがにキャッチャーをやりながらだったら大変ですもんね。
高木 真中さんなんかは監督をやってたし、やっぱりプレイングマネージャーは大変だよね。
真中 キャッチャーやりながら監督は大変だと思いますよ。
高木 古田さんのプレイングマネージャーの時を見てるでしょ。
真中 そうですね。古田さんの時は、古田さんは肩を痛めていたりしたんで、ベンチからサインを出す事が多かったから、自分がマスクを被りながら采配するというのは結構少なかったんで。でも両方やるの大変ですよ。
江本 だから野村さんの野球というのは、元々はブレイザーという人のシンキングベースボールというところから始まった。
高木 あっ、そういう事なんですね。
江本 まあ色んなクセ盗みだとか、データとかも含めてね。
高木 はいはい。やっぱりデータというのを野球に入れて来たというのがね。
江本 データ野球というのは最近の話じゃない。昔から、俺たちが現役の頃から、イヤというほどやった。
高木 1球の入り方とかはずっとやってたんですか?
江本 全部試合前ですよ。試合中にデータにノートを広げて見ないから(笑)
高木 なるほどね。
以上です。