2021年10月31日にBS1で放送された『ワースポ×MLB』でかつてロッテオリオンズ、大洋ホエールズ、ヤクルトスワローズでプレーしたレオン・リーが日本時代の思い出を語っています。
レオン 私の事を覚えてますか?ロッテオリオンズ、大洋ホエールズ、ヤクルトスワローズでプレーしました。これが当時の私。そして今の私です。
レオン 髪が白くなりましたが、今は子供たちに指導をしています。
レオン (曲を口ずさみながら)大ブームなったんだよ。
レオン 野球教室の目標は子供たちが将来にちゃんとした職業に就けるように後押しする事です。奨学金を得て大学に進学してほしい。指導には日本の経験が役に立っていますよ。
レオン ハンバーガーショップに行った時、小さな女の子がいました。初めて黒人を見たのか驚いていました。そして近寄って来て私の腕をこすったんです。肌の色が気になったんでしょうねぇ。でも、その子にウインクをすると安心したようでした。黒人に対する心の壁が取り払われたのかもしれません。人種や文化は違うけど、その違いを受け入れる事が大切なんです。野球も同じです。日本の野球から学べる事はたくさんありましたよ。
レオン アメリカではそれほど練習しませんでした。メジャーに上がれる実力があると思っていましたからね。でも、来日後の練習試合で12打席で10回も三振したんです。これはマズいと思い必死で練習しました。すると徐々に打てるようになったんです。結果が付いてくる事を学びました。アメリカ時代は自惚れていた事に気付いたんです。日本のやり方を実践することで選手として成長することができたんです。
レオン 1試合で10打点を記録したんだ。今でもリーグ記録だと思うよ。
レオン 実は第6打席はソロホームランを狙っていたんです。そうすればサイクルホームランでしょ。相手ピッチャーは内角へのカットボールが多いから、少し開き気味に構えていました。そうしたらスライダーを投げてきたんです。読みが外れてショートゴロでした。意識し過ぎず、自然体で打つことが大事だと、35年経った今でも悔しいです。
レオン 住んでいたのは横浜の山手町。環境が良くてチームメイトとも家族ぐるみの付き合いでしたよ。特に高木(豊)や田代(富雄)です。そして一番仲が良かったのが山下(大輔)ですね。息子のデレックはよく球場に遊びに来ていたんですけど、一番最初に行くのが山下のところだったんです。父親の私を差し置いてね(笑) デレックを可愛がってくれて、本当の家族のようでしたよ。
(テレビ電話で繋がる)
レオン 1983年当時と変わらないね。変わらないね。会えて嬉しいよ。泣けてきましたよ。ハハハ(笑)
山下 お元気そうで。
レオン あなたもね。
(ここでやり取りの映像は終了しました)
―レオンさんにとって野球とは
レオン 野球から多くのものを教えられました。野球のおかげで仲間もでき、様々な経験もできました。今は若い人から感謝される立場になりました。野球は私の人生を豊かにしてくれたんです。
―日本のファンへメッセージ
レオン 日本で10年間プレーしたことが私の誇りです。一生懸命プレーして野球を盛り上げ、ファンを喜ばせることを心掛けました。日本でプレーしたこをは私の人生で最高の経験でした。
以上です。