2018年4月21日にBS1で放送された『ワールドスポーツMLB』で元阪神で亡くなったジーン・バッキーさんが日本での思い出を語っています。
バッキー みなさん!(日本語)
―スカウトされた当時
バッキー 話をもらってすぐに日本行きを決めたのを覚えています。ちょうどハワイとのチームの契約も切れたところで、何より大好きな野球を続けられることが嬉しかったんです。それに新婚だったので、日本行きはハネムーンみたいなものでした。ハハ(笑)
―日本の生活
バッキー 最初は日本語に苦労しました。テスト入団だったから通訳がいなかったんです。でも、食べる方は得意でした。焼き肉、ギョウザ、それにしゃぶしゃぶ。すぐに馴染みましたよ(笑)
―日米の違い
バッキー 日本ではエラーをしても誰も怒りません。三振をしても何もなかったようにベンチに戻って来ます。私には理解できませんでした。私なんて打たれた後、怒りを抑えきれずベンチで火鉢を蹴飛ばしたこともありましたよ。「バッキーさん、ダメよ!(日本語)」と言われましたね(笑) チームメイトにはよく注意されていましたよ。
バッキー 野球に国境はありません。ストライクを投げて、打ち取るだけです。でも最初はコントロールが定まらず苦労しました。そこで当時エースだった小山正明さんにフォームやボールの握り方、リリースのタイミングなどを教えてもらいました。するとコントロールが見違えるほど良くなったんです。(※小山正明はロッテ阪神で活躍し通算320勝をあげたレジェンド)
バッキー サンビャクゴジュウヨン。354イニング(※公式では353回も1/3)だよ。
(続けて)
バッキー (笑いながら右肩に手を当てて)イタイ。ある日のダブルヘッダーでは最初に先発して2試合目にリリーフ登板したことがあります。チームが逆転してくれて1日で2勝したこともありましたよ。
バッキー 何と言っても巨人戦でのノーヒットノーラン(1965年6月28日)です。当時の巨人は王・長嶋などスーパースターが揃っていて、人気実力ともにナンバーワンでした。メジャーで言えばヤンキースみたいなものです。巨人戦ではいつも以上に闘志が湧きましたよ(笑)
バッキー 君にもぜひ沢村賞を獲得してほしい。同じ球団で二人の外国人が沢村賞を獲ったことはないからね。もし実現すれば、二人で日本の野球史に名前を残すことになると思うよ。話ができて楽しかったよ。今シーズンも頑張ってね。(※放送は2018年4月)
メッセ サヨナラ またね。
バッキー サヨナラ。
―日本のファンへ
バッキー 私は日本で野球選手としての夢を叶えました。素晴らしい人たちと出会い、私の人生はとても・・・とても幸せでした。日本の野球もファンも大好きです。ガンバッテクダサイ。ガンバッテハンシン!
以上です。