2018年10月11日にフジテレビONEで放送された「プロ野球ニュース」で2000本安打を達成した千葉ロッテマリーンズの福浦和也と習志野高校野球部の先輩である谷沢健一が対談しています。

 

2000本安打達成

谷沢 2000本おめでとう。

 

福浦 ありがとうございます。

 

谷沢 まさか2000本打つとは(笑) ハハハ(笑)

 

福浦 本当ですね(笑) ずっと言われ続けて。

 

谷沢 本当だよな。25年だもんな。

 

福浦 そうですね。

 

谷沢 だけど、よくコツコツとやってきたよな。

 

福浦 はい。

 

谷沢 達成の瞬間、どんな思いがこみ上げてきた?

 

福浦 達成の瞬間というか、ライトにボールが落ちた瞬間ですかね。

 

谷沢 2ベースヒットだったじゃない。

 

福浦 はい。もう落ちた瞬間に。

 

谷沢 福浦の代名詞の2ベース。

 

福浦 いえいえ。もうホッとしたというか。本当に嬉しかったですね。

 

谷沢 セカンドに滑り込んで足もまだ動くね(笑)

 

福浦 いえいえ、もう(笑) やっぱり嬉しかったですね。

 

谷沢 同期入団の松井稼頭央君から花束を貰って。

 

福浦 はい。本当に嬉しさと、ありがとうという。やっぱり同級生なんで、花束を貰いたかったですし、同級生の前で打ちたかったという思いはありましたね。

 

谷沢 うん。今シーズン、残り38本で迎えましたよね。

 

福浦 はい。時間が掛かってしまいました。

 

谷沢 いつぐらいから今年中にできるかなという思いがありました?

 

福浦 あー・・・そうですね。やっぱり10本切ったぐらいからですかね。

 

谷沢 うんうん。

 

福浦 その辺からちょっとポンポンポンと打てたんで。

 

谷沢 へぇ。

 

福浦 10本切ったぐらいのときにまだ試合数もあったんで、いけるかなと思ったんですけど。

 

谷沢 うん。特にまた今年は6月(14日)だったか? 習志野高校の吹奏楽が応援に来て、あの大ブラスバンドがねぇ。随分と気持ちも熱くなったでしょ?

 

福浦 はい。もう熱くなりましたね。打ってやろうと思いましたけど、打てませんでした。

 

谷沢 日本一のブラスバンドだからね。

 

福浦 そうですね。あんな大音量で応援してもらえるとは思わなかったですね。

 

谷沢 でも、背中を押してくれるよね。

 

福浦 はい。

 

谷沢 井口監督に今年は特に感謝だね。

 

福浦 そうですね。本当に感謝ですね。あと、鳥越ヘッドコーチ。

 

谷沢 おぉぉ。そうか。

 

福浦 はい。もうオフにも言われていましたから。「100試合ぐらい出るつもりでこいよ」って。

 

谷沢 おぉぉ。

 

福浦 もう気合を入れて準備したんですけど。

 

谷沢 それは励みになるね。

 

福浦 それでキャンプで怪我してしまったんですけど(笑)

 

谷沢 やり過ぎて(笑)

 

福浦 はい(笑)

 

谷沢 だけど、福浦はみんなに慕われているし。

 

福浦 いえいえ。

 

 

暴れはっちゃく

谷沢 『はっちゃく』って呼ばれてんだよな?

 

福浦 そうですね。

 

谷沢 小宮山なんかからはっちゃくって呼ばれてるよな。先輩からな。

 

福浦 はい。

 

谷沢 暴れはっちゃくが好きだったの?

 

福浦 いや違います(笑) 暴れはっちゃくに似てるって言われて。

 

谷沢 あっ、そうなのか(笑)

 

福浦 そこからあだ名が付いたので。

 

谷沢 似てるかな?(笑)

 

福浦 初代に似てるって。別に暴れていたからとかじゃなくて。

 

谷沢 ハハハ(笑) そうか(笑)

 

福浦 そっちの暴れじゃなくて、その暴れはっちゃくっていうドラマの主人公の子供に似ていたっていう。

 

谷沢 いや、本人が好きなのかなと思って。

 

福浦 いえいえ、まあ見ていたんですけど。

 

谷沢 ハハハ(笑)

 

新人時代

谷沢 これまでの25年の野球人生の中で転機もあったと思うけどね。

 

福浦 そうですね。いや、もう1年目が転機だったと思います(笑)

 

谷沢 ハハハ(笑) ピッチャーで入団したんだよな?

 

福浦 そうですね。ピッチャーやっていたんで。でも、今は亡くなってしまった当時2軍打撃コーチの山本功児さんに「バッターに転向しろ」ってずっと言われていたんですけど。

 

谷沢 うん。

 

福浦 僕は断っていたんですけど。

 

谷沢 ピッチャーにこだわってた?

 

福浦 そうですね。ピッチャーやりたいという気持ちがあったんで。

 

谷沢 左だしな。

 

福浦 はい。

 

谷沢 高校時代に140キロ以上を出していたしな。

 

福浦 そうですね。

 

谷沢 左の野茂って言われていたらしいな。

 

福浦 フフフ(笑) そんなの初めて聞きましたよ(笑) 本当にですか!?(笑)

 

谷沢 うん。左の野茂って、トルネードのように。

 

福浦 はい(笑)

 

谷沢 だって、野茂が活躍していた時代に育ったから。

 

福浦 はい。

 

谷沢 野茂の真似してよ。

 

福浦 ハハハ(笑)

 

谷沢 左の野茂!

 

(続けて)

 

谷沢 でも、誰もがバットコントロールといい、それから手首の柔らかさといいね。そういうことでコーチの助言でバッターに転向したと。

 

福浦 はい。

 

谷沢 へぇ。

 

福浦 そこがまず転機でした。

 

 

打撃フォームの変遷

谷沢 首位打者になったのも2001年。

 

福浦 はい。そうですね。

 

谷沢 それまではイチローがいて、イチローがアメリカに行ってからすぐに首位打者になった。

 

福浦 はい。

 

谷沢 やっばりイチローは特別な存在だった?

 

福浦 はい。次元が違うと思いますね。

 

谷沢 でも、福浦が追い求めてきた打撃論は随分と変わったよね。端から見ていても随分変わったけども。

 

福浦 はい。

 

谷沢 どんな信念みたいなのがある?

 

福浦 うーん。やっぱり胸はピッチャーに早く見せないというのはずっとやってきましたね。

 

谷沢 うん。

 

福浦 あとはタイミングの取り方を年々変えましたね。やっぱり年齢が上がっていくごとにちょっと早めに取って、長く間を作ろうとしたりとか。

 

谷沢 うん。一時、フランコがいた時にバットのヘッドがピッチャーに入っていたよね?

 

福浦 はい。入ってましたね。

 

谷沢 あの時はフランコの真似してたの?

 

福浦 いえいえ、元々僕は入る方なんですけど。

 

谷沢 うんうん。

 

福浦 でも、ずっと「入り過ぎ」だとは言われてましたけど。

 

谷沢 でも直すとタイミングをおかしくなった?

 

福浦 そうですね。いいときはコンパクトにバットが出てくるんですけど、悪いときはバットが外回りするんで、「もうダメだ」とは言われていましたけど。

 

谷沢 インサイドの速い球なんかは特に外回りしてね。

 

福浦 はい。でも、そこはあまり変えなかったですね。

 

谷沢 うん。試合前のバッティング練習を見させてもらって、随分シンプルになったと思って感心しましたよ。

 

福浦 ありがとうございます(笑)

 

谷沢 もう柔らかいスイングになってたし。

 

福浦 やっぱりシンプルになりますね。

 

谷沢 随分と頭の中も柔らかくなった?(笑)

 

福浦 そうですね(笑) やっぱり何だかんだで最後にはシンプルに。

 

谷沢 もうね、構えから変わっていて、どこにでもバットが出る。まさにバットコントロールの良さを感じましたよ。

 

福浦 ありがとうございます。

 

 

現役25年間の原点 習志野

谷沢 ところで習志野高校の何期生?

 

福浦 僕は35期生ですかね。

 

谷沢 35?

 

福浦 はい。

 

谷沢 へぇ。私は何期生だと思う?

 

福浦 いや、もう・・・10・・・。

 

谷沢 掛布雅之君は私より7つ下なんですよ。

 

福浦 はい。(谷沢が何期生か考え込む)

 

谷沢 7期生だよ。

 

福浦 7期生ですよね。そうですよね。

 

谷沢 だから、習志野高校ができてまだ間もない時ですよ。

 

福浦 そうですね。津田沼ですか?

 

谷沢 そう。円形校舎の時だよ。

 

福浦 フフフ(笑)

 

谷沢 円形校舎。

 

福浦 僕も円形校舎の時のことは聞いたことがあります。僕らのときは習志野のだったんですけど。

 

谷沢 習志野の自衛隊か。(※このへん少し聞きづらかったのハッキリ聞こえない部分がありました)

 

福浦 そうですね。

 

谷沢 ここに習志野のユニフォームをお借りしてきたんだけども。(※胸にNARASHINOと書かれたユニフォーム)

 

福浦 はい。

 

谷沢 福浦の時はこれとは違うよね?

 

福浦 そうなんですよ。僕らの時だけ胸に漢字で『習志野』だったんですよね。

 

谷沢 漢字?何で?

 

福浦 はい。夏の大会で。

 

谷沢 何でまた?

 

福浦 分からないです。記念なのか、何でなんですかね。僕らのその年だけ漢字だったんですよね。それまで練習試合はこれ(NARASHINOと書かれたユニフォームを指差して)だったんですけど。

 

谷沢 うん。

 

福浦 僕らの夏の大会のその時だけ漢字だったんですよ。あれ何でだったのかな。

 

谷沢 何かの転機があったのかな?

 

福浦 いやぁ、僕もちょっと理解できないんですけど。

 

谷沢 うん。

 

福浦 やっぱりこっちの方がカッコイイですよね。

 

谷沢 だって、この文字は習志野二中の字体と一緒じゃない。

 

福浦 一緒です。中学校のときはこれを着てましたから。

 

谷沢 そうか。

 

福浦 袖のところに『習志野二中』って書いてあるんですけど。

 

谷沢 うん。覚えてる?2001年に首位打者になって、習志野高校の近くで対談したよな。

 

福浦 はい。覚えてます。学校にも行かせてもらった。

 

谷沢 そうだ。学校にも行ったよな。

 

福浦 校歌を一緒に歌いましたよね。

 

谷沢 校歌を歌ったな。

 

福浦 フフフ(笑)

 

谷沢 そう。学校の玄関に入って、すぐに壁に校歌が書いてあってね。

 

福浦 はい。

 

谷沢 あぁぁ、あとで校歌を歌おうや。

 

福浦 ハハハ(笑)

 

谷沢 実は今日ね、福浦選手にコメントをね、ある方から頂きましてね。

 

福浦 すいません。ありがとうございます。

 

谷沢 ちょっと見て頂きたいと思います。

 

2人のVTRコメントが流れます

 

 

習志野野球部17期生のヤクルト小川淳司監督

小川 東京ヤクルトスワローズ監督の小川です。福浦君、この度は2000本安打、本当におめでとうございます。まあ、福浦君は高校の時にちょうど僕はスカウトだったので、高校時代の彼の姿は見ていました。ピッチャーをやっていまして、今みたいに体は細かったと思うんですけど、やっぱりプロに入って野手に転向してここまでの数字を残せたというのは彼の頑張り以外の何物でもないと思いますし、高校の後輩ではあるんですけども、本当に素晴らしい選手だなと感じてます。習志野高校の後輩ということで、縁があっての思いで言えば、やっぱり1年でも長く続けていってほしいと思いますし、1打席でも多く打席に立って結果を出していってほしいと思います。

 

習志野野球部31期生のヤク野口寿浩コーチ(2018オフに退団)

野口 東京ヤクルトスワローズのコーチをやっています。野口です。今回2000本安打達成おめでとうございます。やはり同じ習志野高校を出て、高卒でプロに入った身として非常に嬉しく思いますね。僕が日本ハムに在籍した時にはロッテ戦はチーム的には相性が良かったんですけど、福浦君だけには打たれまして、「福浦どうするんだ 福浦どうするんだ」とミーティングをする度に要注意選手として挙がっていた選手だったんでね、本当にいいバッターだなという感じでしたね。現役続行ということですので、2100本2200本をドンドン目指してたくさんのヒットを積み重ねてください。コーチングもするんでしょうけども、福浦2世というものを是非、たくさん作ってほしいですよね。

 

VTRは終了

 

 

福浦 ありがとうございます。

 

谷沢 お聞きになってどうですか?

 

福浦 本当にありがたいですね。感謝ですね。

 

谷沢 うん。

 

今後の野球人生について

谷沢 何を目指してこれから生きていきたいと思います?

 

福浦 やっぱりチームを強くするためにはバッティングコーチを兼任しているんで、打線をもっと強くしたいというのがあります。

 

谷沢 うん。最後にカメラに向かってこれからの意気込みをお願いします。

 

福浦 えー・・・、来シーズンは兼任コーチという形になると思いますけど、1打席でも多く打席に立てるように個人的には頑張って、あとはもっともっといいバッターを育てられるようにチームのためにしっかりと頑張っていきたいなと思います。

 

谷沢 ここで、習志野高校の校歌を歌いたいんだよな。

 

福浦 ハハ(笑)

 

谷沢 最初は・

 

福浦 『君知るや』ですよね。

 

谷沢 『君知るや』な。

 

福浦 そこは分かります(笑)

 

谷沢 『君知るや ここ津田沼の 花薫る丘に』。

 

福浦 はい。

 

谷沢 いいか。はい。

 

『君知るや ここ津田沼の 花薫る丘に 今日も鬱勃と涌きやまず 青き雲波 逞しく 四海を望む これぞ叡智と愛の学舎 我等が母校 習志野 おお聳え立て 誇りもて 美しく 永久に 永久に 永久に 碧空に』

 

 

二人で歌っています。谷沢は歌詞を見ながら歌っていましたが福浦は全部覚えていて完璧に歌いました。

 

 

福浦 最後合ってますか?(笑)

 

谷沢 合ってる、合ってる。俺は間違えてた(笑) いやぁ、本当におめでとう。

 

福浦 ありがとうございます。17年ぶりに歌わせて頂きました(笑)

 

谷沢 そうだ。そうだ。あの時の17年ぶりだな。

 

ここで対談は終了

ここからスタジオに戻って谷沢と谷繁と斎藤と小澤陽子アナで福浦について語ります

 

 

谷沢 僕は7期生でね、それで当時長野県だとか静岡県だとかに遠征に出ますよね。

 

アナ はい。

 

谷沢 そうするとナラシノって読んでくれないんですよ。

 

アナ 読み方ですね。

 

谷沢 「今日はシュウシノ高校だ」ってね。それだけまだ伝統が浅くて、銚子商業だとか千葉商業だとか強いチームが目白押しでね。やっと産声を上げたばっかりなんですよ。ただね、5年目に習志野は甲子園に行ったんですよ。

 

アナ はい。

 

谷沢 それでいい指導者がいるということで私も受験して入ったんですけどね。そこにまた福浦君が続いてね。千葉で生まれて千葉で育った。

 

アナ そうですね。

 

谷沢 当時の石井監督も褒めてましたよ。あのトルネードを押していたのも石井監督ですよ。

 

アナ そうですか。誇りに思ってらっしゃるはずですよね。

 

谷沢 そうですね。

 

アナ 明雄さんはロッテのコーチ時代に福浦選手と同じチームでしたが。

 

斎藤 そうですね。ベテランなんですけど、他の選手たちに慕われているし、本当に教えるのも上手いし、喋り方も厳しいようで厳しくないというかね。もう聞きにきたら何でも教えるというタイプでみんなに慕われていましたね。

 

アナ うーん。

 

斎藤 それで自分のやるべき事、ゲームの中での準備をしっかりとできる選手だったし、若手の練習の邪魔を全くしない。自分のやるべきことは全部やって、あとは自分の試合に対しての準備をするという感じですからね。それで非常に面倒見のいい選手でしたよね。

 

アナ だから慕われるんでしょうね。

 

斎藤 そうですね。

 

アナ 谷繁さんは福浦選手と同じ25年目での2000本安打達成でしたが。

 

2000本安打達成年長記録

1位 和田一浩 中日 42歳1ヵ月

2位 福浦和也 千葉 42歳9ヵ月

3位 谷繁元信 中日 42歳4ヵ月

 

 

谷繁 そうですね。さすがにこれ抜かれると思ってなかったんですよ(笑)

 

アナ 3位になってしまいました(笑)

 

谷繁 はい(笑) それで和田に抜かれて、また福浦にも抜かれてね。でも、私なんかよりも打撃のレベルが素晴らしい選手で、何がスゴいって千葉マリンスタジアムで6年連続3割を打ったというね。

 

谷沢 うん。

 

谷繁 僕はそれがスゴいと思うんですよ。映像ではみんな分からないと思うんですけど、千葉マリンスタジアムはどっちかというとピッチャーが有利なんですよ。

 

アナ うーん。

 

谷繁 どうしてもちょっと手元で変化したり、フォークボールの落ちが良かったり、変化球の曲がりが良かったり、それで真っ直ぐでもちょっと変化したりするんですよ。だから、彼は多分ものすごくポイントを近くして打っているはずなんですよね。

 

谷沢 うん。

 

谷繁 その環境でやったという彼のバッティング技術はスゴいと思います。

 

アナ この球場での3割というのはスゴいことなんですね。

 

谷繁 はい。

 

谷沢 谷繁さんもなあ、千葉県に生まれてたらなあ。

 

一同 ハハハ(笑)

 

谷繁 野口君は僕の1個下ですからね。ちょうどかぶってますよ。だから、僕は行かない方が良かったです(笑)

 

谷沢 でも、谷繁さんは3000試合以上のキャッチャーとしての大記録があるしね。

 

アナ はい。ちなみに谷沢さんは38歳1ヵ月で2000本安打達成しています。

 

谷沢 うん。それはもういいですよ。

 

一同 ハハハ(笑)

 

 

以上です。

習志野OB同士のいい対談でした。

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