2018年8月3日にBS朝日で放送された「スポーツクロス」で元巨人で活躍し、高校野球では池田高校で何度も甲子園で優勝した水野雄仁が1983年の夏の甲子園の大会で桑田真澄、清原和博を擁するPL学園戦でのまさかの敗北についてヤクルトで監督をしていた古田敦也とテレビ朝日アナウンサーの徳永有美と共に語っています。

 

当時の池田高校は前年の1982年に夏の甲子園大会を優勝し、1983年の春の甲子園大会でも優勝し夏春連覇を成し遂げていた。そして、1983年の夏の甲子園大会ではもちろん優勝候補筆頭という前評判。準決勝で対するPL学園はあくまでダークホース的な存在でほとんどの人が池田高校が勝つと信じていた試合前でした。

 

 

アナ この時、PL学園を相手に0-7の完敗となり、やまびこ打線が0点に抑えられるという、衝撃的な試合内容でした。

 

古田 どうですか。準々決勝の中京高校に勝って、PL学園戦では普通にやっとけば勝てるというような。

 

水野 そうですね。中京高校戦に勝って「いけるな」と。

 

古田 うん。

 

水野 準決勝はちょっとPLで一息ついてぐらいに思っていたら(笑)

 

古田 ハハハ(笑)

 

水野 負ける時はそういうもんなんですね。足下をすくわれるというか。

 

古田 今から思えば、全てが色んなストーリーになっているんですけどね。

 

アナ はい。

 

古田 まさか、こうなるとは誰も思わないから。

 

水野 ですね。でも、まあ、(1982年の夏の甲子園大会の準々決勝の早稲田実業戦の)荒木さんから勝った時もこんな感じだったから、負ける時はこんなもんなのかなっていう漠然とマウンド上では思っていましたね。

 

古田 うーん。

 

水野 だから、悔しくもなかったですね。「あぁ、負ける時ってこんなもんなんだなあ」っていう感じでしたね。まあ、でも、最高の相手に負けましたよ。

 

古田 うん。

 

水野 あれで、うちに勝って2人(桑田と清原)には確実に自分たちの違った責任が生まれましたね。『スター街道を行かなきゃいけない』、『負けられない』っていう。私が2年の夏に初めて甲子園で優勝した後に、もう負けられない重圧ですごい練習するんですけど、やっぱりKKもそういうふうになっていったんじゃないかなって。

 

アナ へぇ。

 

古田 何かね、誰かが用意したようなストーリーなんですよね。

 

アナ はい。

 

古田 物語と言いますかね。できすぎた物語なんだなあという気がします。

 

他のテーマでも語っています

 

 

以上です。

この話を聞いていると本当にドラマですね。水野たち池田高校野球部が感じていた重圧がKKのPL学園に受け継がれたという感じがします。

おすすめの記事