2018年4月29日にサンテレビで放送された広島VS阪神の野球中継で先日亡くなられた衣笠祥雄さんの思い出を元阪神の真弓明信、元広島の岡義明がサンテレビアナウンサーの木内亮と共に語っています。
アナ 衣笠さんといいますと1965年に平安高校からカープに入団。もともとキャッチャーだったんですが、すぐに内野手に転向してそこから75年、79年、80年、84年、86年と5度のチームのリーグ優勝に貢献されました。何と言っても真弓さん、2215試合連続出場が燦然と輝いていますよね。
真弓 はい。そうですよね。連続試合出場っていうのも凄いですよね。ただ、僕らが入った時の大スターですよね。特に印象に残っているのがスイングです。
アナ はい。
真弓 ホームランも中途半端なホームランじゃないんですよ。どでかいホームランを打っていましたからね。体はそんなに大きくないんですよね。
アナ フルスイングが代名詞で。
真弓 そうですね。
アナ 岡さんはカープ時代にチームメイトとしても、先輩としても一緒にプレーされていましたよね。
岡 そうですね。9年ほど一緒にやらせてもらいましたね。やっぱり人柄も非常に温厚で優しいし、何よりも当時は山本浩二さんと同学年でプライベートは別としても、やっぱりグラウンドで切磋琢磨して競争しながら若い選手を練習で引っ張っていましたよね。
アナ はい。
岡 そのあたりがやっぱり、今考えても尊敬する先輩でしたよね。
アナ そうですか。デッドボールを当てられても常に笑顔で1塁に歩いて行くというのもありましたけど。
岡 怒ってもおかしくないようなところでも笑顔で手を上げて「大丈夫だ」という感じで凄かったですよね。
アナ 真弓さん、そういう意味ではお手本にすることがたくさんあったんじゃないですか?
真弓 ありましたよ。バッティングだけ言われたりするんですけど、サードの守備も軽快ですごくカッコ良かったですよね。
アナ そうですかあ。まあ、衣笠さんはゴールデングラブ賞にも3度輝いている名手でした。
岡 上手かったですね。練習の時から非常にグラブを大事にしながら、こだわりを持っていてバッティング以上に守備に意識を持っているかなというぐらいに普段からやっていましたね。それと体が強いというより精神力でしたね。
アナ はい。
岡 私も膝を痛めて側副靭帯損傷でもう無理だというのが優勝した時にあったんですけど、『江夏の21球』のときにあったんですけど、その後に衣笠さんは背中を骨折ですからね。あの時に痛いって言わなくて良かったなあと。あの時に痛いと言ってたら俺はエライ恥をかいていましたね。それぐらい骨折をしていてもやっていましたからね。
アナ 衣笠さんの凄いところは2215試合連続出場で引退されたという。
岡 そうですね。出続けていたわけですから。
アナ はい。
岡 その時は私がちょうど広島でコーチをしていましたから、それは凄かったです。もう若い時から年を取ろうが、とにかく出続ける。その間でも故障を含めて満身創痍の中でやっていましたからね。
以上です
この時代に現役だったOBにはもっと語ってほしいですよね。色んな衣笠さんの話を聞きたいですね。