2018年12月26日に読売テレビで放送された「かんさい情報ネットten」で岡田彰布、赤星憲広が00年代の強かった頃の阪神タイガースについてますだおかだで増田と共に語っています。
3人がその理由を書いたフリップを出す
岡田『血の入れ替え!』
藪 『世代交代』
赤星『勝つための工夫』
増田 まず赤星さんは『勝つための工夫』が変わったと。
赤星 星野さん、岡田さんとやらせてもらったんですけど、もちろん個人の能力が高くなったということはあるんですけど、どうやったら勝てるかとか、どういう風に自分がプレーをしなきゃいけないのかを監督コーチ陣に言われることもありましたけど、じゃなくて自分たちでやれるようになりましたよね。そのための工夫をするようになったので、僕は岡田さんとずっとやらせてもらいましたけど、そんなにこうしろああしろと岡田さんからは言われたことがなかったので、ある意味監督も自分で考えろというのがあったと思うんですね。そういう意味でこれが1つかなと思います。
増田 うーん。そして、藪さんは『世代交代』です。
藪 はい。投手陣の方も1年1年と年を取っていくので、この中で上手く世代交代ができたんじゃないかと。特に野手の方も若い選手がどんどん出てきて、いい入れ替えができたと思いますね。
増田 星野さんも大投手でしたけど、ピッチャーとして星野さんから影響を受けたことはありました?
藪 やっぱり先発投手としてやらせて頂いて、開幕投手というものにスゴくこだわると思うんですよ。
増田 はい。
藪 阪神には3つあると。「実際の本当の開幕投手。ホームでの開幕投手。そして、甲子園での開幕投手。その3試合があるから、そのうち1回投げればいいよな」と言ってくれて、スゴく気持ちが楽になったのを覚えてますね。
増田 なるほど。そういう部分もあったんですね。
藪 はい。
増田 そして岡田さんは『血の入れ替え!』です。
岡田 はい。やっぱり2002年のオフの26人の入れ替えですね。特に当時は2軍で監督をやっていたので、辞めさせるのは2軍の方が多いですから大変でしたね。そういう意味では2軍監督として選手を呼んでクビというか、戦力外の通達をしなきゃいけないんで、この時はちょっとキツかったですね。
増田 でも2003年の優勝があって、その後に星野さんから受け継いだわけですけど、やっぱりプレッシャーはありました?
岡田 いや、1年間一緒に(守備コーチで)1軍でやっていたので、そうプレッシャーはなかったですけどね。でも、ちょっとピッチャーが年いってるのは思ってたんで。
増田 あー。
岡田 藪を筆頭にね(笑)
一同 (笑)
藪 僕は重しになっちゃいけないと思いましたから、フリーエージェントを取った時にサッサと海外に行きましたから(笑)
増田 薮さん、いち早くありがとうございました。
岡田 グフフ(笑)
増田 岡田さんにとっては星野さんはどんな存在でしたか?
岡田 本当に色んな監督としてきましたけど、こういう気持ちっていうか、技術は当然なんですけど、これだけ気持ちの入った勝ちにこだわる監督は初めてだったんで、当時も名前の通ったコーチが多かったんですけど、コーチもけっこうピリピリしてましたね。それ以上に選手はもっとピリピリしてましたけど(笑)
以上です。
数年は優勝狙えてました。